周有光 - 周有光 GOOGLE DOODLE
周有光 は、中国の経済学者、言語学者。漢語拼音方案の策定とその普及にかかわった。非常に長命で、百歳をこえてからの政治批判でも知られた。
本名は周耀平。
周有光は江蘇省常州に生まれた。1923年に上海の聖ヨハネ大学に入学するが、1925年に五・三〇事件の学校側の措置に怒った教師・学生が集団で大学を去って新しい光華大学を創立すると、周有光も光華大学に移った。1927年に光華大学を卒業した。1933年に張允和(1909-2002)と結婚した。張允和の妹の張兆和は沈従文夫人である。
1933年から日本に留学した。河上肇に経済学を学ぶ予定だったが、同年河上が検挙されたため、目的を果たすことができなかった。はじめ東京帝国大学に学び、後に京都帝国大学に移ったが、1935年に留学生活を中断して帰国、光華大学で経済学を教えた。日中戦争中は奥地に逃れ、また新華銀行に勤務した。戦後は欧米諸国や香港に滞在した。